谷戸の自然・里山の景観
古代から続く自然の営みに寄り添って
さくら百華の道
安全なバリアフリーの緑道(1,600m)には、64品種・230本の個性を誇る桜が植えられています。早咲きの2月から遅咲きの5月初旬まで約2ヶ月半、様々な容姿との出合いがあります。
写真提供:(公財)日本花の会
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街道文化を支える湧水と信仰
湧水は里の歴史を支え続けた生命の源
郷土の歴史資産
この郷の古い歴史、社寺・古道
護王大明神
源義経の側室護王姫がこの地で難産のため母子とも命を落とし、それを哀れんだ村人が葬い、墓標としてケヤキを植えました。それが樹齢300年以上と言われる大ケヤキで市指定重要文化財となっています。
鈴鹿明神社
座間郷の総鎮守。創建は欽明天皇の御代(539〜571)と伝える。境内には鈴鹿に生まれた有名な書誌学者斉藤昌三の句碑があります。また、縄文時代の平地式住居趾があり、市指定重要文化財となっています。
心岩寺(臨済宗)
鎌倉建長寺の末寺です。昔は河原宿にありましたが、文案年間(1444〜1449)に相模川の洪水で流失し、当時この地の領主であった白井是房が現在地に移したとの事。境内には湧水とその水をたたえる池があります。
諏訪明神社
慶長7年(1602)に神官新田氏の祖、昌清が故郷の諏訪大社の御霊を分けて祀ったのが社の起りと伝えられています。役行者の記念碑「神変大菩薩」があり、市指定重要文化財となっています。江戸時代に寺子屋「新月堂」がありました。
番神堂(番神水)
日蓮上人が刀匠、鈴木弥太郎貞勝の良い水が欲しい、との願いを承け、三十番神を勧請して地面をうがった所、清水が湧き出したといわれ、この湧水を守るために番神堂を建て神々を祀っています。
星谷寺(真言宗)
創建は奈良時代の聖武天皇のころ(724~749)で、本尊は聖観世音菩薩。星の谷観音堂は、坂東三十三札所巡りの八番札所として多くの巡拝者が訪れます。境内の宝篋印塔は市指定重要文化財であり、梵鐘は国指定重要文化財で、奇鐘の一つとして有名です。
栗原神社
御祭神は豊受姫命と天御柱命。明治6年(1873)に近在の王子・握財・絹張・山王・若宮・龍蔵の各社が合祀され、その後(明治30年頃)山王社と龍蔵社が元に戻るという変遷を辿りました。
龍源院(曹洞宗)
縁起“桜田伝説”に登場する渋谷高間という武士が富士山公園の西側に建てたものを弘治年間(1555~1557)に現在地に移したものといわれています。墓地の脇に湧水と弁財天があります。
祟福寺(臨済宗)
鎌倉建長寺の末寺で創建は応永21年(15世紀初)であり、開山は仙湲と伝えられています。門前には幼児を抱いた地蔵尊の座像があり、子育て地蔵とかキリシタン地蔵ともいわれています。
円教寺(日蓮宗)
日蓮上人を深く敬信した刀匠鈴木弥太郎貞勝が、その屋敷を寺としたもの。文永8年(1271)竜の口(現藤沢市)で法難に遭うものの助かった日蓮上人が依知(現厚木市)へ護送される途中、休息したのが機縁だと言われています。
座間神社
昔、疫病に苦しむ村人達に白衣の老人(飯綱権現の化身)が湧き出る清水を飲むように勧めたところ、治癒したことから飯綱権現が祀られたと伝えられています。明治9年(1876)、日本武尊をご祭神とする事となり、以降、座間神社と改称されました。
専福寺(浄土真宗)
村人が建立し、開基は了山と伝えられています。明治12年(1879)には、栗原小学校の前身である栗原学校が境内に建てられました。材木は栗原の篤志家大矢弥市が寄贈、村人がそれを切り出し建設に協力との事で、当時の志がうかがえます。
日枝大神
御祭神は大山昨神です。創建は元亀2年(1571)と伝えられていますが、宝暦12年(1762)に火災にあい、資料・記録が失われています。その後も何度か建て替えられましたが、現在の社殿は昭和9年の再建でこの時に東京都麹町の日枝神社より改めて分霊したものです。
浄土寺(浄土宗)
寺の由緒によると、元亀年間(1570~73)に創立。開山は願誉門悦といわれます。当初は四ッ谷の三家の西側にあったが、相模川の洪水で流され、現在地に移築されたもの。境内には寺子屋の創始者保田安兵衛の供養塔があり今も供養に訪れる人々がいます。